March 15, 2007

ありがとうクレイジー

連れ合いが懸賞でミュージカルのチケットを当てたので、ちょっくら行ってきた。劇団四季の「クレイジー・フォー・ユー」。場所は京都駅ビルにある京都劇場。知らないミュージカルだったが、歌って踊って、皆ハッピーな楽しい芝居だった。

出演者には失礼なのだが、観劇に没頭できず、違うことを考えていた。年齢のことだ。この人たちも、きっと自分の年齢と闘っているのではないか。

僕の仕事を一言で言うとすれば、やはり「SE」が一番適当だろう。実際、「オブジェクト指向が得意な腕のいいデジタル工務店」を商売にしているし。しかし、SEの世界では、年齢による限界説が陰に陽に語られている。この業界に飛び込んだ15年ほど前は、「30歳が限界」という説だった。今では少し伸びたようだが、概ね「35歳」といったところか。石油の埋蔵量ほどは伸びない。では、そもそも、何をもって「限界」としているのか。

ソフトウェア業界は全体的に若いこともあって、年齢構成が下にいくほど広がったピラミッド型をしている。あるプロジェクトの典型的な構成は、一人のプロジェクトマネージャの下に数人のチームリーダーがおり、それぞれのチームに数名の開発部隊メンバーがいる、というものだ。そして、開発部隊の中から次のチームリーダーが生まれ、チームリーダーの中から次のプロジェクトマネージャが輩出される。早い話がサル山のボス猿争い。一般的には上に行くほど報酬も良い。そして上がれない負け犬ならぬ「負けSE」たちは、次から次へと参入してくる若い連中に囲まれながら開発部隊に居続けるか、辞めてしまうかの選択を迫られる。

ソフトウェアを作る仕事は、頭も使えば気も使う。身も心も健康でないとなかなか続かない。せっかく身に付けた技術が数年で陳腐になったりする。だから、「仕事や勉強すること自体に疲れてしまう」のが「限界」の大きな要因であることは間違いない。でも、その「疲れ」を促進する要因には、上の世代の良いサンプルが少ないことがあると思う。開発部隊に居続けて「この先、やっていけるか」と不安がよぎる時、周囲を見渡して、自分より年上の人が生き生きとそこに居てくれるだけで勇気付けられることってあると思う。年齢を言い訳にしにくくなることってあると思う。そしてそれは、とても良いことだと思う。

僕が現場にこだわりたいのは、そんな理由だ。人から「クレイジー」と言われるほどに、現役の開発部隊でありたいと思う。

職種は違うけれども、年齢と闘っているのはSEだけではない。飛び跳ねながら、踊りながら、スゴイ声量で歌うミュージカル俳優たち。芝居から弾け出てくる、そのパッションが素晴らしい。観に来て良かった。


Posted by azure at 03:11:12 | from category: ソフト屋稼業 | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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