March 06, 2007

白襟限定解除

直訳するとこんなところか。元の言葉は"white collar exemption"。今は、残業代が支払われないことばかりが大きく取り上げられていて、あたかも「過労促進法」のような扱いだ。ちょっと冷静になって整理してみるか。

「きまり」というものは、そもそも、対立が存在するから必要とされる。「白襟限定解除」の対立構造は、「労使」。つまり「働く側」と「働いてもらう側」。

また、「きまり」の生命線は「バランス感覚」。「白襟」のアンバランスは絶望的だ。それはそうだろう。今はまだ「働いてもらう側」からの提案が出されただけなのだから。

経団連という「経営者組合」が、はっきりと経営者の立ち位置から一方的な要求を示した今、労働者はどう立ち向かうべきか。「残業代を払わずに過労死させるつもりか」とは、あたかも共産党の得意そうな主張だが、もうそんな闘いではダメなんだよ。相手は反発を承知の上でカードを切ってきたのだ。ブラッシングボールを投げてきたピッチャーに、「そんなボール打てるか」と怒るのであれば、打席に立たなければいい。ここは勝負どころだと、正面から受けて立つのが直感的な勝負観だ。

労働者の「限定解除」なのだぞ。一方的に悪い話ではないはずだ。「残業代を払わない」ことと引き換えに、今まで労働者を縛ってきた制約を、今解かずして、いつほどく。

労働の価値が「時間ではなく成果だ」というならば、副業、昼寝、ズル休みは当然アリだろう。「有給休暇」なんてシャラクサイ<きまり>からも解放だ。だって「成果主義」なのだから。他にも考えていけばいろいろあるだろう。かくして、「ほんまに成果主義でええんやな」と、ボールを一度打ち返す。そして、二打席目の勝負だ。

限定解除されるまでもなく、世の中に「成果主義」は既に広まっている。しかし、おそらく、そのほとんどはうまくいっていない。なぜか。端的に言えば、評価をする側の評価する言葉に力がないからだ。もし、既に成果主義が機能しているのならば、わざわざお上に頼んで、お上主導で「成果主義」を推進する必要は無い。全く無い。うまくいっていないから、「法律」という名の印籠を必要とするのだ。
(たぶん続く)


Posted by azure at 02:32:37 | from category: 社会 | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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