April 02, 2007

ああ石川

能登半島地震から一週間が経つ。報道で取り上げてくれるおかげで、石川の言葉を毎日耳にする。こんなに石川の言葉を聞くのは、高校卒業後に金沢を離れて以来もう二十数年振りのことだ。

そんなに離れてしまっているのに、やはりふるさとの言葉は懐かしい。石川の言葉は、北陸の中でも独特の節回し(?)があり、ほんの些細な一言だけでもピンと来る。大阪に来て、ちょっとした言葉のやり取りからピンと来て、「もしかして石川の人?」と当てたことは一度や二度ではない。

地震のニュースが流れた当初、二、三日は、現地を思っては涙が出てきて仕方がなかった。「自分にとって、石川はもう過去の話だ」と思っていたはずなのに、「自分はやっぱり石川人だ」と自覚させられ、真剣に、「石川に帰るか」と考えもした。

でも、やはり「ふるさとは遠きにありて思ふもの」だ。「帰るところにあるまじや」なんだ、と思い直した。犀星のこの詩は、これからもずっと、ことあるごとに思い出すだろう。「小景異情その二」を暗唱することができるのは、石川、特に金沢人の特権かとも思う。

え?金沢の人でも、知らん?うそお。そんなことあるかいね。みなしっとわいや。ほやろ?

Posted by azure at 23:58:54 | from category: 微笑返し | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
Comments

のむのむ:

しっとるわいね。
ほんで、帰ってから〜ンネ、時々実感しかけたわいね。
ほんでも〜ンネ、それはこっちの勝手な期待でぇ、どこでもいっしょや。
知り合い(人も土地も)が多い分、楽しいこともあるわ。小さい町やから、面倒な気がするときもあるげんけどね。

この口調で、以前全国版のニュースで小学生がインタビューに答えていたんだけど、
インタビュアー「なにがおもしろかったですか」
小学生(しばし考えて)「な〜ん、全部や!」
標準語の頭で聞くとものすごく態度の大きい子供だけれど、金沢弁として聞くと、無邪気な子供で礼儀正しく、真剣に、明るく答えているだけなんです。

さて、能登・輪島といっても、我々のイメージしがちな輪島ではなく門前あたりが一番被害が大きいようです。(市町村合併のため、輪島市が拡大したので、イメージがぼわ〜んとします。)
加賀の方は無傷と言っていいと思います。能登の他の地域も、元来あまり地震がこなかったからか、古い家が多く、そういう家は被害を受けているところもありますが、そうでもない家もかなりあるようです。
現在は、風評被害といいますか、被害にあった家を横に見ながら(ボランティアが来てくれているのに)遊べないということか、観光客が来ないよ〜と。連日、安心して遊びに来てね!というCMorニュースが。

インドネシアの津波被害で、ヨーロッパの人たちが遊びに行っている(地元の人の復興支援にもなるからと)のを見て、ううん、割り切っている、と思いましたが。こうなってみると、そうなのかな・・。
(April 28, 2007 09:34:21)

azure:

能登半島を鳥の頭だとすると、「輪島」はクチバシの付け根、門前は頭の辺りだったっけと思ってたから、ニュースで「輪島市門前町」と聞いて、違和感あったよ。
その後も日本列島のあちこちで地震が起きてるし、こちらでは「福知山線の事故から丸2年」が最近の大きなニュースだったしで、記憶がいろんな人の悲しさを受け止めきれずに、日本中の「被害者」は、日に日に忘れられていく。
力はないけれども、せめて「忘れない」ためにはどうすればいいか、いつも考えさせられます。例えば、うちには「山古志村」っていう銘柄のお酒が未開封のまま置いてあって、開けられない。飲むと忘れてしまいそうで。
とりあえず、次の温泉は「和倉」を第一候補にしたよ。
(May 01, 2007 01:12:31)
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