April 10, 2008

フォルダサイズ

知っている人には今さらな話だろうけど、備忘も兼ねて、便利なツールとかについても書いていこう。

Windowsのエクスプローラで「詳細」表示をさせた時に、フォルダ内のサイズを表示してくれるソフトウェアです。

ダウンロード先はこちら

解りやすい説明はこちら

仕事用のPCのハードディスクがいっぱいになってきたので、不要なファイルを削除しようとしたのだが、通常のエクスプローラではファイルサイズは表示されてもフォルダ単位のサイズはプロパティをいちいち開かないとわからず、なんかないかなぁと探したら、あった、という次第。フォルダ単位で簡易にサイズが判ると、削除する時の狙い目が絞れて案外便利だ。

まぁ、日頃からメンテしておけという話なのだが、「とりあえず残しておくか」と思ってしまうものが多く、つい保存したまま放置してしまう。本やら雑誌やらが山積みになっている我が部屋と同じ状態なのだなぁ。

December 25, 2007

本の読み方を思い出す

最近気に入っている目薬がある。ロート製薬のドライエイドα。一滴垂らした瞬間から、これまでの目薬とは違っていた。まず光の量が増える。裸眼で遠くにある本の背表紙が読め、景色に立体感がある。あれれ?なんか視力が戻った?という気になる。
この目薬の特徴は粘り気だろう。視力が戻った気になるのは所謂「涙レンズ効果」だ。僕は視力検査の一番大きな○が全然見えない程のド近眼だが、たまーに涙の加減で多少ピントが合うことがある。あれだ。
裸眼でモノが見えるようになって、一番変わったのは本の読み方だ。いや「変わった」というより「身体が思い出した」という方が正確だ。もう20年以上もド近眼状態に慣れていたせいか、情報を掴みにいくような読み方のクセがついてしまっていた。本の読み方はそうじゃない。情報が飛び込んでくるのを受け取りさえすればよかったのだ。野球のバッティングで言うと、ボールを迎えに行ってしまっていたのを、手元まで引き付けるようになったようなものだ。
涙レンズの効果はせいぜい2、3分だが、目の使い方を思い出すことができた効果は自分にとっては決して小さくなく、本を読む際のストレスが随分と軽くなったのを実感している。言われてみれば(?)、十代の頃はこういう風にちゃっちゃと読んでいたっけ。

叶わぬ願かもしれないが、本を読むだけではなく、いつの日か、もう一度裸眼で野球をしたいとも思っている。

July 23, 2007

安倍さんの約束

たまにはソフト屋ぽいことも書かないとね。

選挙戦が始まる直前に、安倍さんが「専門家に精査させたところ、一年どころか、前倒しでできる」と言っていた年金問題。システム開発てのは、「要件」があって初めて「工数見積り」が可能なわけなので、「前倒しでできる」という見込みは、どんな「要件」を見積もったものであるのか、セットで言ってもらわないと評価不能なのだが、一向に出てくる気配がない。

そもそも、年金問題は「基礎年金番号への『未統合』」が問題になったのであって、安倍さんの発言の直後に、厚労省から、「前倒しの統合は無理」と言われたのもまだ記憶に新しい。もし、「専門家」が「(統合ではなく)照合機能の実装を『前倒しで可能』」と言ったのだとしたら、それはそれでウソだろう。だって、「照合」というのは、要するに検索機能であるから、そんな機能は既に実装されていないとおかしいからね。何百億円だか知らないが、ともかく、とてつもない大金を注ぎ込んでシステムを作ったソフト屋の頂点に君臨する大企業が、「今から検索機能を実装します」なんて、恥ずかしくて言えるわけもない。

統合されていないということは、当初のシステム要件では想定されていなかった事象がいくつも出てきていたということだ。システムエラーというよりは、ヒューマンエラーとして。まあ、想像だけど、本来必要だったはずの情報が揃っていないのに、データ入力できてしまうようなロジックにしていたんだろう。とにかく作業を進める(残件を減らす)ために。そして、ずうっと問題を先送りしてきたのではなかろか。それにしても、規模がデカいことを除けば、そんなに難しいシステムとも思えないんだけど、その大企業は何やってんだと言いたくなる。

この際、根本的に制度を見直すと同時に、システムも一から作り直すというのもアリなのではないかな。個人的には、これまでに納めた分を一旦返金してもらいたい。原資はあるはずだ。3年前に、与党の片割れが、「100年安心」を謳いながらそう主張していたのだから。

July 12, 2007

商売はキモ+α

関西では名の知れた某グルメ雑誌に、あるラーメン屋が紹介されていた。云く「ランチタイムや週末には待ちも出る人気ぶり」。

うそぉ。

そこには5、6年前だったか、一度だけ行ったことがある。そして、連れ合いと「二度と来ることはないだろう」と評価が一致した店だ。どんなマズさだったか、正確には憶えていないけれども、スープ、麺、具、全体、どれをとっても、とにかく薄っぺらだった印象と、店内に「スープがなくなり次第終了します」みたいなことが書いてあって、「口上だけは本格的やなぁ、トホホ」と思った記憶だけが残っている。

もしかしたら、この数年の間に、劇的に旨くなった可能性はあるが、そこはラーメン屋だ。定番になっている店や、また行ってもいいなと思っている店、さらには、いつか行きたいと思っている店がわんさかある中で、わざわざ、一度良くない印象を持ったところに再挑戦する義理もなければヒマもない。

他人事として考える分にはそれで済むのだが、ふと自分に当てはめると、ゾッとする。お客さんに一度悪い印象を与えてしまったが最後、その評価を引っくり返すのは容易ではない。キモの部分で取替えの利かない何かを持っていないと、一度の失敗で仕事を失ってしまいかねない。

うちの定番になっているラーメン屋の中には、態度が最悪で、行くと必ず嫌な思いをさせられる運びのおばはんのいる店がある。でも、そこのオヤジが奥の厨房で作っているラーメンが旨くて、つい、また行きたくなってしまう。ラーメンのキモは言うまでもない、「旨いこと」だ。キモは大事だ。

たとえ人柄のいいおばさんが運んでくれても、マズければ二度と行かないだろうし、旨いラーメンを人柄のいいおばさんが運んでくれていたら、もっと足を運んでいると思う。やるからには、人柄のいいおばさんが旨いラーメンを運ぶような商売をしなければいけないよなあ。

ラーメン屋の紹介記事を見て、我が身をちょっと反省することになった次第です。


March 15, 2007

ありがとうクレイジー

連れ合いが懸賞でミュージカルのチケットを当てたので、ちょっくら行ってきた。劇団四季の「クレイジー・フォー・ユー」。場所は京都駅ビルにある京都劇場。知らないミュージカルだったが、歌って踊って、皆ハッピーな楽しい芝居だった。

出演者には失礼なのだが、観劇に没頭できず、違うことを考えていた。年齢のことだ。この人たちも、きっと自分の年齢と闘っているのではないか。

僕の仕事を一言で言うとすれば、やはり「SE」が一番適当だろう。実際、「オブジェクト指向が得意な腕のいいデジタル工務店」を商売にしているし。しかし、SEの世界では、年齢による限界説が陰に陽に語られている。この業界に飛び込んだ15年ほど前は、「30歳が限界」という説だった。今では少し伸びたようだが、概ね「35歳」といったところか。石油の埋蔵量ほどは伸びない。では、そもそも、何をもって「限界」としているのか。

ソフトウェア業界は全体的に若いこともあって、年齢構成が下にいくほど広がったピラミッド型をしている。あるプロジェクトの典型的な構成は、一人のプロジェクトマネージャの下に数人のチームリーダーがおり、それぞれのチームに数名の開発部隊メンバーがいる、というものだ。そして、開発部隊の中から次のチームリーダーが生まれ、チームリーダーの中から次のプロジェクトマネージャが輩出される。早い話がサル山のボス猿争い。一般的には上に行くほど報酬も良い。そして上がれない負け犬ならぬ「負けSE」たちは、次から次へと参入してくる若い連中に囲まれながら開発部隊に居続けるか、辞めてしまうかの選択を迫られる。

ソフトウェアを作る仕事は、頭も使えば気も使う。身も心も健康でないとなかなか続かない。せっかく身に付けた技術が数年で陳腐になったりする。だから、「仕事や勉強すること自体に疲れてしまう」のが「限界」の大きな要因であることは間違いない。でも、その「疲れ」を促進する要因には、上の世代の良いサンプルが少ないことがあると思う。開発部隊に居続けて「この先、やっていけるか」と不安がよぎる時、周囲を見渡して、自分より年上の人が生き生きとそこに居てくれるだけで勇気付けられることってあると思う。年齢を言い訳にしにくくなることってあると思う。そしてそれは、とても良いことだと思う。

僕が現場にこだわりたいのは、そんな理由だ。人から「クレイジー」と言われるほどに、現役の開発部隊でありたいと思う。

職種は違うけれども、年齢と闘っているのはSEだけではない。飛び跳ねながら、踊りながら、スゴイ声量で歌うミュージカル俳優たち。芝居から弾け出てくる、そのパッションが素晴らしい。観に来て良かった。