April 30, 2008

あらためて、太陽の塔

20世紀少年の実写版が今年の夏、公開予定のようだ。この「劇画・20世紀少年」に欠かせない舞台はExpo'70、1970年に開催された大阪万博。実は、当時3歳の私も、大阪にばあちゃんの妹が住んでいたこともあって、わざわざ金沢から万博に来ているのだな。もっとも、帰りの大阪駅で「大阪の子になるぅ!」と泣いていたこと以外はほとんど憶えていないのだが。

38年後(!)、しっかり「大阪の子」になってしまっていることはいいとして、その万博会場がそのまま公園になった、その名も「万博公園」を知らない人は少なくとも大阪には居ないだろう。

その万博公園に出向いた。元々の目的はロハスフェスタだったのだが、落ち着ける居場所がほとんど無く、そこからはとっとと退散し、周辺を散歩することにした。おー、あらためて歩くと、広くて、花もキレイでたくさん咲いている。散歩空間としてとても気分がいい。

そして、万博公園随一の存在感といえば、これを置いて他にはないだろう。そう、「太陽の塔」。
正面

正面からの画はとても有名だが、真横や後ろをよく知らない人は居るかもしれない。

近影(著者近影;^^)背面

今回、猫背の横顔を拝見してあらためて思ったのだが、どうしてこの曲線なんだろう。やはり、理屈では語れない、岡本太郎先生にしかわからない感覚なんだろうか。僕は、僕には見えずに芸術家の人たちには見えている世界を見たくって仕方がない。

January 12, 2007

今年の目標-全般篇

一年の計は元旦にあるはずなのだが、正月の元を取るように今頃計っている私。いつも夏休みの宿題を最終日にまとめてしていたツケか(関係ない)。

とはいえ、目標は疾うに胸に秘めている。そのまま秘めときゃいいのにわざわざ書く。

とにかく、私はやりたいことだらけ。「ヒマだ」と思った記憶がない。だから、「目標」というのは、「やる」ために決めるのではなく、「絞り込む」ために決める。だって時間が足らないもの。

もう随分と前になるが、信頼できる人生の先輩から、「お前は『やりたいこと』と『やらないといけないこと』があると、『やりたいこと』ばかりやる」と指摘をされた。うぅ、否定できん。やりたいことだらけなのに、この上、やりたくもないことまでやらなければいけないなんて。と言ってもいられないので、まず一つ決めた。

1. 家で、最低1時間「昨日まで知らなかったことわからなかったことを何か勉強する」。そして、自分を褒める。

自分で自分を評価する、というのがミソだな。そうだ。カレンダーに○×をつけるようにしよう。赤ペンで。

で、早速今日は?

今日は、ウインドミルのコツをつかんでしまった(気がする)。野球かよ。そう野球。正確にはソフトボール。まあいいだろ。評価するのは自分だ。って、他にもしているのだが、途中なので、区切りのよいところで褒めることにしよう。

September 06, 2006

ホリエモン考

ホリエモンは新しいのか?東大・金・自民党。
出る杭を叩く社会を変える、などと言っているようだが、どう変えるつもりだ。
バファローズの時もフジテレビの時もそうだった。彼奴にはビジョンもロマンもない。「とにかく壊す」。ただのハヤリモンだ。


September 02, 2006

9月のオリオン

26時。この時間まで夜更かしをしていると、東の空からオリオン座が昇ってくる。

今の時代に生まれてしまった僕は、不思議だと思う前に教えられ、何故だろうと思ったシリから答を調べることができてしまう。

その昔、ガリレオが当時の学者連中に、望遠鏡で月の表面を見せたところ、月を神秘的な真球だと信じて疑っていなかった学者たちは、その凸凹した表面を「ニセモノだ」と断定したらしい。

望遠鏡のない時代の人たちよりも、確実にたくさんのことを知っているだろう僕は、だからと言って、ガリレオを詐欺師呼ばわりした学者たちを「頑迷で愚かな輩だ」と馬鹿にできるか。言えることは、「その頃はそういう時代だったんだろう」ということだけだ。

現代でも、日常にはきっと、そういう自覚のない「知ってるつもり」がたくさんあるのだろう。オリオン座はどうしていつ見ても同じ形なんだろう。正確に答えられる自信はない。これでは、五百年前にタイムスリップしたところで、やっぱり神にも天才にもなれそうにないな。

August 31, 2006

ハービーの直筆サイン

眺めたり、手に取ってみるだけで幸せな気分になれるモノってある。私にはそういうモノが割にたくさんあるように思う。

楽器屋で生ギターを眺める、たまに弾かしてもらう。
文房具屋で万年筆を眺める、たまに試し書きをさせてもらう。
時計屋で機械式の腕時計を眺める、たまにはめさせてもらう。
窯元に行って、そこのおやじと話をしながら焼き物を手に取って眺める。
家具屋に行って、いろんな椅子に腰掛けてみる。等々。

他にも、絵とか、モノではないけれども鳥とか草花とか。眺めているだけで楽しかったり、なんとなく笑顔になれる。

モノの価値ってのは、結局のところ相対的なもので、基本は物々交換だな。
ゾロ目の一万円札に、私は一万円の価値しか見出せないけれども、一万円以上払ってでも手に入れたい人が世の中にはいる。ハービー・ハンコックの直筆サインは、私にとっては宝物だが、「ハービーはん?誰それ?」という人にとっては、ただの外人の落書に過ぎないだろう。

左様に、価値とは、ある人が「これいいなあっ」と思えるということだ。それは別に脇から口を挟む必要はないはずのものなのだが、困るのは、自分が「気持ち悪い」と思うものを「気持ちいい」と思っている人と出くわしてしまった時だ。音楽についてたまにそういう場面に出くわすが、この手の感性の違いは、ケンカにはなってもまず議論にはならない。