December 31, 2007

新聞にありがとう

やはり年が明ける前に書いておきたいと思う。
2007年11月15日、恵那山に一機の小型飛行機が墜落した。当日、ウェブで速報の見出しを見て、「こういう事故は連鎖するよなあ」とだけ思い、その事故のことは特に気にも留めなかった。
翌朝、朝刊を何気なく眺めていて、ふと目が留まった。知っている名前だ。いや、知っているどころではない。学生時代からの弟分だ。不思議となついてくれて、ずっと付き合ってきた奴の名前だ。その名前の持ち主は、航空写真のカメラマンとして、墜落した飛行機に搭乗していた。社名、職種、姓名、年齢、全て一致する。何度も何度も読み返した。本人に間違いなかった。あいつの会社に電話をした。「棚田は死んだんですか」「残念ですが」

翌々日、通夜。アザだらけの顔。鼻血の跡。でも、半眼半口で、あいつらしい穏やかな表情をしていたのがせめてもの救いだった。仕事で九州に出向いている時に「佐古さん、今、どこからかわかりますか〜?福岡ドームっす。へへっ」と、ホークスファンである僕に、悪戯っぽく自慢気に電話をしてきた声が甦る。とにかく、ただひたすらに悔しかった。本当に悔しかった。

もし新聞を読んでいなければ、何も知らずに、今年もまたあいつに年賀状を出していたことだろうと思う。教えてくれてありがとう。そして、2007年にさようなら。

December 25, 2007

本の読み方を思い出す

最近気に入っている目薬がある。ロート製薬のドライエイドα。一滴垂らした瞬間から、これまでの目薬とは違っていた。まず光の量が増える。裸眼で遠くにある本の背表紙が読め、景色に立体感がある。あれれ?なんか視力が戻った?という気になる。
この目薬の特徴は粘り気だろう。視力が戻った気になるのは所謂「涙レンズ効果」だ。僕は視力検査の一番大きな○が全然見えない程のド近眼だが、たまーに涙の加減で多少ピントが合うことがある。あれだ。
裸眼でモノが見えるようになって、一番変わったのは本の読み方だ。いや「変わった」というより「身体が思い出した」という方が正確だ。もう20年以上もド近眼状態に慣れていたせいか、情報を掴みにいくような読み方のクセがついてしまっていた。本の読み方はそうじゃない。情報が飛び込んでくるのを受け取りさえすればよかったのだ。野球のバッティングで言うと、ボールを迎えに行ってしまっていたのを、手元まで引き付けるようになったようなものだ。
涙レンズの効果はせいぜい2、3分だが、目の使い方を思い出すことができた効果は自分にとっては決して小さくなく、本を読む際のストレスが随分と軽くなったのを実感している。言われてみれば(?)、十代の頃はこういう風にちゃっちゃと読んでいたっけ。

叶わぬ願かもしれないが、本を読むだけではなく、いつの日か、もう一度裸眼で野球をしたいとも思っている。