September 13, 2006

今さら「見える化」-1

ここ2年ほどになるか。ソフトウェア業界、特にオブジェクト指向を商売にしている人たちにとってのキーワードというかハヤリ言葉が「見える化」。同業者以外にとっては「見える化?なにそれ」かもしれない。簡単に言えば、問題点や課題が浮き彫りになるように、なんでも目に付く形にしてみようという試みのことだ。今日やらなければいけないことをポストイットに書いて机に貼っておく。これも立派な「見える化」だ。こうすることで「うげ、今日中にこんなにたくさんやらなあかんことがある」という事実を突きつけられる。もちろん、ポストイットに書くことで備忘にもなるが、「見える化」のポイントは、貼り付けられたポストイットの数を見て、「こんなにたくさん」と感じることだ。

この「見える化」がオブジェクト指向の世界から広まったのは、オブジェクト指向が「モデリング」を武器にしているからだ。モデリングというと、なんかムツカシイ感じを受けるかもしれないが、ひとまずは、「目下の課題にいろんな角度から光を当ててみようとすること」とでも言っておく。
例えば、オブジェクト指向屋は、ホワイトボードとか紙があれば、何を作りたいのか普通に作文をしたり、時間を止めたその瞬間の構造を絵にしてみたり、動きを紙芝居のように描いてみたりといったことばかりやっている。

モデリングの目的は、まず「理解すること」。そして「その理解をみんなで共有すること」。で、共有するには同じルールでモデリングすることが必須だということで、パイオニアたちは、頑張ってルールを作り、そのルールを啓蒙するべく本を書き、トレーニングコースを設け(それでお金も儲け)てきた。そして、ようやく、「標準化」と言えるくらい裾野が広がってきたかな、やれやれ、と思いきや、次に襲ってきた問題が「標準化」ならぬ「形骸化」。いつ何をどこまでモデリングすればよいかが判らないまま「とにかくモデリング」しようとするものだから、モデリングの成果物と徒労感ばかりが現場にウズタカク積まれるようになってしまった。

そうなると、宗教の歴史と同じだな。この事態をマズイと感じていた人たちが原点回帰運動を始める。その一つが「見える化」運動だ。と理解して、まあ大きくは外していないだろう。
(たぶん続く)