December 14, 2006

ウィニー判決と裁判員制度

京都地裁は、ウィニー開発者を有罪にした。自民党の復党問題やら、役所の悪事やらでうんざりしているところに、裁判所よ、お前もか。どうも最近は、大人どものやることに説得力がない。

平成21年5月までに開始されるらしい裁判員制度。今までは「面倒くさいなあ」「いややなあ」とばかり思っていたが、その裁判、俺も混ぜてくれと言いたくなる。さては、このトホホな判決、裁判員制度を推進するための策略か。まさか。

裁判員制度は「選ばれた裁判員には法律知識がない」ことが前提となっている。つまりは、「あなたの『感覚』で善悪を判断してください」ということだ。「私の感覚」では、ウィニー開発者は「悪くない」。今回のウィニー裁判は、「ウィニーは『包丁』か『ピストル』かが問われている」と喩えられている。要は「人間の悪い心がウィニーを悪用した(包丁)」のか「ウィニーが人間を悪くした(ピストル)」のかということなのだが、「ウィニーはピストルである」と判断した裁判官は、自分はウィニーを手に入れたら「ウッシッシ」となる人間だと告白しているようなものだ。みっともない。

随分前に、別のところで書いたことだが、必要条件と十分条件をよく理解せずに、犯罪者の必要条件を取り締まることによって犯罪が減ったというのは、人間の知恵とは言えない。