December 28, 2006

年の瀬に #1

2年前のちょうど今頃だった。
僕は初めて彼女に会った。たった1分ほどだったけれども、僕の手を握り締めて、キラキラした瞳で見つめながら話をしてくれた。「いつも陰で静かに応援しています」と伝えると、「えぇ〜なんで静かに?」と、小首をかしげて、泣きそうになるくらい可愛い笑顔で言われた。そして、「そうやな、同じ応援するならば、もっと積極的に応援しよう」と決意した。彼女の病が発覚したのは、その2週間後だ。H.M.彼女の年齢は僕の一つ下。絶対に死なせるものかと、僕は祈った。

でも、もう彼女はいない。

忘れもしない。もう6年近く前になる。大切な、本当に大切な、かけがえのない同級生を、同じ病で亡くした。そっくりな、小さい子供を残して逝ってしまった。その同級生とは、共通の友人がいた。金沢に居た頃に、たまたま知り合って、22年前に、これまた、たまたま同じタイミングで京都に居を移した。そして、その3年後、二人で涙を必死にこらえながら、夜行で金沢へ向かった。バイクの事故だった。

僕は負けない。生きるということの半分は、「耐えること」だと思う。

僕は、時に傍若無人だと自分でも思うことがある。周囲をハラハラさせてしまうこともあるかもしれない。でも、そういう時に限って、妙に醒めた目で自分を見つめていたりする。周囲の人たち、ごめんなさい。僕は、誰に頼まれるでもなく、もっと生きたかっただろう人たち(父親や友たち、そしてM)の心を背負って生きてしまっている。

今年も楽しかったこと、辛抱したこと、本当にいろいろあった。それはないやろ、という嘘もつかれた。長年、損得抜きで付き合えると信じていた先輩から、ヒドい嫌味を投げられた。「そんな風に俺のこと見てたんや」という言葉は、信頼度が大きかった分、内心ヘコみ具合も半端じゃなかった。そういえば、ひと月に500時間以上仕事をした月もあった。ずっと楽しみにしていた約束をドタキャンもされた。シカトもされた。

……。下唇を噛み締めたことばかり出てくる。俺って、結構クラいなあ(苦笑)。

明日は楽しかったことばかりを思い出そう。やっぱり生きていることのもう半分は「(あいつらとも一緒に)笑うこと」なのだし。


December 14, 2006

ウィニー判決と裁判員制度

京都地裁は、ウィニー開発者を有罪にした。自民党の復党問題やら、役所の悪事やらでうんざりしているところに、裁判所よ、お前もか。どうも最近は、大人どものやることに説得力がない。

平成21年5月までに開始されるらしい裁判員制度。今までは「面倒くさいなあ」「いややなあ」とばかり思っていたが、その裁判、俺も混ぜてくれと言いたくなる。さては、このトホホな判決、裁判員制度を推進するための策略か。まさか。

裁判員制度は「選ばれた裁判員には法律知識がない」ことが前提となっている。つまりは、「あなたの『感覚』で善悪を判断してください」ということだ。「私の感覚」では、ウィニー開発者は「悪くない」。今回のウィニー裁判は、「ウィニーは『包丁』か『ピストル』かが問われている」と喩えられている。要は「人間の悪い心がウィニーを悪用した(包丁)」のか「ウィニーが人間を悪くした(ピストル)」のかということなのだが、「ウィニーはピストルである」と判断した裁判官は、自分はウィニーを手に入れたら「ウッシッシ」となる人間だと告白しているようなものだ。みっともない。

随分前に、別のところで書いたことだが、必要条件と十分条件をよく理解せずに、犯罪者の必要条件を取り締まることによって犯罪が減ったというのは、人間の知恵とは言えない。