November 16, 2006

読み・書き・算盤・検索能力

我が家のプランタに、勝手に生えてきた木は、どうも「フサフジウツギ」という名前の木であるらしい。我が家の小さな植物図鑑には載っていなかったので、インターネットで調べた。
なんでもかんでもネットで調べるご時世だが、もし使い慣れた辞書や図鑑などがあれば、場合によってはそっちで調べる方がよほど速い。今回の木も、手持ちの図鑑に載っていれば、パラパラとページをめくっているうちに発見できたろうと思う。

なぜ図鑑の方が速いかと言えば、それは、手持ちの情報が「画像」だけだったからだ。植物に詳しい人がいれば、「こんな花が咲いてるんだけど」と、写真を見せることができるが、インターネットで画像情報を基に「似ている画像」を検索するようなサービスにはまだお目にかかっていない。「そんなん無理やろ」と思っているうちにGoogleなんかがやってしまいそうな気はするけど(「そういうサービスなら、とっくにあるで」とご存知の方がいらっしゃれば教えてください)。

で、残念ながら植物博士もいず、手元の図鑑にも載っていず、てな状況になっては、手段は二つに一つ。探偵ナイトスクープに、というのは冗談で、(1)買うなり図書館に行くなりして、立派な植物図鑑で調べる、(2)インターネットで調べる。まあ現代なら、まずは(2)やろ。ということでネット検索をすることにした。
ネット検索は、適切な言葉を選べるかどうかが生命線。「紫色の花」でやってみる。ここで、「薄紫」とか「淡い紫」などと、条件を絞るべきかどうかは、小事ではないのだな。それはそれとして、検索結果はたくさん出る(予想通り)。とりあえず検索結果上位のページをいくつか開けてみると、あるわあるわ「紫色の花」。調べている目的を忘れて、しばしいろんな<紫色の花>の写真を眺める。まるで、引越しの箱詰めをしていると、奥の方から出てきた昔の本やら雑誌やらを次々と開いては読んでしまうようなものだ。

その後、どうやって絞り込んでいったのかは忘れてしまったけれども、大学の入学試験に「検索」という科目があってもよいかも、と思ったのだ。見たこともない写真を見せて、「これは何か」とだけ問うている問題。インターネットで検索ができるだけのパソコンを貸与して調べさせる。1時間で20問もあればちょうどよさそうだ。

November 01, 2006

ゆとりの時間は使えない

高校、特に受験生を惑わしている必修漏れ。要は、「進学校」が環境の変化に対応し切れずに振り回されているということだ。「ゆとり」だの、週休二日だの、学習指導要領だの、大学側の選択基準の多様化だの。旧友も高校教師をやっているが、現場のドタバタを想像するにつけ、痛々しいとしか今は言えない。
文科省も、地方に、または高校に、任せるなら任せるで、教える内容まで任せればよいものを、中途半端に縛っておいて、「あとはご自由にどうぞ」ではやっぱり無責任だろう。今に始まったことではなく、進学校が大学予備校となり、非進学校が「高校卒業証書授与」校となって(おそらく)久しい。つまりは「本当の高校」なんてもはや幻想でしかないのだ。

必修を受講していないコーコーセーは、補習を甘んじて受けなさいな。そんなの議論するのもバカバカしいくらい当たり前の話だ。出席日数ギリギリまで休む。補習中に内職をする。こっそり(?)居眠りをする。そういった<工夫>をしながら、補習を甘んじて受けなさい。「出席すること」に意義があるのだぞ。で、もしも先生の話が面白かったりなんかしたら、望外の幸運。テストなんざ関係なしに、「へええ」と唸りながら、面白がって授業を聞けばいい。卒業しちゃったら、その先生の授業、受けたくても受けられないよ。こういうのは卒業してからわかるものだけれど。

報道によれば、かわいそうなのは受験生なんだって?アホくさ。俺は、正規の授業に出席しながら外の景色をボーっと眺めたり、堂々と居眠りをしたり、授業とは全然関係のない小説を読んでいたりして、さんざ怒られたもんだ。だって、世界史以外の授業はつまらんかったからな。でも世界史は赤点やった。この辺が<人生の綾>というやつなのだ。ようわからんが。

ま、高校へは野球をしに行っていたようなもんだし、「大学に行くかどうかは卒業してから考える」とも決めてた僕には、「今、大学に行きたい」と必死になっている現役の受験生に届く言葉を、何も持ち合わせていないことだけは断言できるな(イバってどうする)。