October 04, 2006

ガンバレ貧乏クジ

ソフトウェア作成の工程は、上流から下流まで、いろんな現場で、あらかた経験してきた。経験上、一番報われないのは「テスト担当」だろうか。たまにテストを担当すると、あらためてそう思う。
テスト担当と言ってもいろいろで、決められたテスト仕様に従って機械的にテストをする場合もあるが、既存のプログラムを解読してテストの仕様を策定し、テストプログラムを作り、実行まで(場合によってはデバッグまで)やるという、かなりヘビーで、それなりの力量が要求される場合もある。どちらにしろ、テスト担当者は努力が報われないことが多い。なぜか。

それは、テスト担当者の使命は「ダメ出し」だからだ。テストの対象となっているプログラムの穴を見つけ、それを作った人に、「このプログラムはイケてません」「あなたは詰めが甘いです」と伝えなければいけない。プログラム作成者にとっては、できれば聞きたくないイヤな報告だ。だから、大概ムッとされる。「一体どんなテストをしたのか」と詰問調で聞き返されることもある。さも「テストのやり方が悪いからエラーになったんだろ?」と言わんばかり。「自分が気付かなかった問題を見つけてくれてありがとう」と感謝されこそすれ、恨まれたり嫌味を言われる筋合いのものではないのだけれども。
かと言って、嫌な顔をされないように適当にテストをして流しておくと、後で問題が出た時に「ちゃんとテストしたのか」ということになる。前門の虎、後門の狼。進退谷まったと言えば大袈裟だけれども、腹を括ってダメ出しをするしかない。そんな悲壮感に、こんな言葉がとどめを刺す。「今はそこまでのテストを要求していない」。はぁ。。。そんなら自分でやれよ。

プログラムを書く作業は、8割方楽しいものだ。何も無いところからどんどん動くものができていく。モノ作りの喜びを味わえる。「作業が進んでいる」という手応えもある。ところが、残りの2割がクセモノ。完成度を上げるための詰めの作業は、とにかく面倒くさい。仕事が進んでいる実感もない。だから、その「楽しい8割」だけをやりたがる輩がいる。サッカーで言えばフォワードしかやりたがらない奴。料理で言えば、後片付けをしない「料理好き」みたいなもんだ。そしてそういうのに限って、「ほとんどが自分の成果」だと思っていたりする。

いや、まあいいのだ。テストという作業をすることができる人間は、縁の下の力持ちであることに誇りを持てる人間だ。「菊作り、菊観る時は陰の人」というやつだな。俺はそういう人間になるぞ。テストを担当することになって貧乏くじを引いてしまった、なんて意地でも思ってやるもんか。ま、そんなことを思ってしまっているところが、まだまだ青い証拠なのだが。

ともあれ、自分がテストをしてもらう立場になったら、「問題をあぶりだしてくれてありがとう」と心から感謝できるような人間でありたい。人の振り見て我が振り直せ、だ。