February 15, 2007

組織と個人

うちから徒歩1分のところに交番がある。でもって、うちのマンションの目の前には踏み切りがある。
東京の列車事故。踏み切り、交番と聞いて、すぐに思い浮かぶ言葉は「待ち伏せ」だ。なんて貧相な連想。たまに、踏み切りのすぐ脇の陰に隠れて一旦停止を取り締まる姿。警官がマンションの敷地内に隠れて見張っていて、「そこで何をしている」と、住民に叱られていたこともある。なんてトホホな住民との関係。ちなみに叱ったのは私だが。

その警官は、制服を脱げば本当はいい人なのかも知れないが、ああいうのを「おまわりさん」とは言わない。あれは「ケーサツ」だ。おまわりさんは個人。ケーサツは組織。

どの業界でもそうだろうが、会社という組織で働くからには、社員は多かれ少なかれ、その会社のブランド力という下駄を履かせてもらっている。でも、そのブランド力は社員個々人の日頃の振る舞い、活躍によってしか築かれないものだ。

会社と社員がお互いに感謝し合える関係が理想的。この絶妙なバランスが崩れてしまうと、会社は社員にとって、とても居心地の悪い場所になってしまうし、居心地の悪い場所に置かれた社員がいい仕事をしてくれるはずがない。

会社が社員に対して、「組織のためには個を殺す」ことを要求すれば、その社員は「居ても居なくてもどちらでもいい人間」になってしまう。だって、「個を殺した人間」は取り替えが利くから。そして、それは、ブランドを高めてくれるはずの力を、自ら殺していることになることに、会社は自覚的でなければならない、と思う(あらためて自分に言い聞かしている)。

ケーサツも同じだ。おまわりさんあっての「ケーサツ」ブランドだ。